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世まで

自然が作り出した渓谷が人々の往来を阻んでいた

四ツ谷用水の本流が流れる八幡町は、大昔の広瀬川の流れが作り出した階段状の地形「河岸段丘」(かがんだんきゅう)の上にあります。
段丘の山手側から流れ出した沢は土地を削り、後に「鶏沢」や「へくり沢」と呼ばれる谷をつくりました。これらの谷は難所であり、人々の居住や往来を長い間こばんでいました。中世時代まで、ここには大きな集落は築かれませんでした。

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生きている化石で有名なセコイヤ。八幡町の河岸段丘にはその化石である珪化木がなぜか落ちてたり・・

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四ツ谷用水と交わる鶏沢の滝。数百万年前の自然に触れられる貴重な所

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城下町が作られ、龍宝寺と大崎八幡宮の門前町として栄えた

西暦1601年に仙台に城下町が築かれると、「龍寶寺」(りゅうほうじ)と「大崎八幡宮」が造営されて、八幡町は門前町として栄え、​まちには多くの職人たちが住むようになります。
また、街道が整備されたことで城下西側の要所となりましたが、「へくり沢」はこの時は未だ交通の難所として、人々の往来の障害となり続けます。

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​兎年の守本尊が奉られている文殊堂。伊達政宗公に許され修験者により建立された。今も兎年の人たちの信仰が篤い。

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藩政時代の四ツ谷用水の様子を今に伝える貴重な遺構「支倉堀」

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渓谷が埋められて路面電車が走り、人とものの往来が活発になった

市電が通って、北四番丁と八幡町までの通りがつながり、交通の便がとても良くなりました。​
交通や土木技術が発達すると、人々の往来を妨げてきた「へくり沢」は埋められていきます。新たに通った道路には市電が走り、より人とものの往来が活発になっていきました。

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昔の輸送は馬や牛でした。八幡町には手綱を繋ぐ金具や石が未だに残ってます。八幡町に買い出しに来た人は馬をつないで商店街で買い物していたそうです。

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八幡町を代表する老舗の仙台味噌屋さんの庄司屋醤油店。

四ツ谷用水を辿って

見えてくる

土地の成り立ちと

​街の歴史

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四ツ谷用水の本流が流れる八幡町には

土地の成り立ちや、

江戸時代のまちづくりについて

知ることができる

歴史の痕跡が多く残っています。
 

四ツ谷用水の本流をたどって

​今につながる歴史の流れを

体感してみませんか。

歴史と交差する、今の営み

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江戸時代には門前町として栄えて

職人も住み、その後も交通の要所として

活気があった八幡町ですが、

時代の移り変わりとともに古くからの営みは

新陳代謝の時期を迎えています。

 

街並みには空き地や空き家などの

すき間が目立っています。
しかし、そうしたまちのすき間で

自分らしい暮らしや

小商いを実践する若い人たちもいて、

まちに新しい彩りを加えています。

記事
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